コオリナ

パラダイスコーヴの歴史サイト

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パラダイスコーブはオアフ島のリーワード沿岸にある尊大な敷地、コオリナにあります。1940年代初めに、アリス カモキラ キャンベルが、ホノウリウリのワイマナロ周辺にあるビーチフロントで37エーカーの所有地を賃貸していました。アリス キャンベルはジェームス キャンベルの後継者でした。ジェームス キャンベルとはアイルランドの移民で、オアフ島のエバ平地に大きな植民地を発展させた人物です。アリス キャンベルが貸したこのビーチフロントの土地は、彼女自身が“ラニカウカア”と名付けたもので、わらぶき屋根の家や“神聖な水の溜り場”がありました。ここでカメハメハ大王のお気に入りの妻、カアフマヌ女王が入浴したり、宗教的な儀式を行ったとされています。

キャンベルは彼女のビーチフロントの所有地を”ラニクホヌア“と名前をつけ直しました。神聖な水の溜り場があるこの土地周辺は、エバとワイアナエの境界付近にある美しいスポットで、またハワイの歴史上でコオリナとして知られています。昔のコオリナの管理人はナプアイカマオという人物で、この地域は最高指導者カクヒヘバのお気に入りの休暇スポットであったと知られています。

前世紀あたりに、オアフ島の鉄道がコオリナの内地を通過するようになりました。きちんとした交通手段が不足していたために、エバ プランテーション近所のテント生活をしていたティーンネージャーの多くが電車に乗ってこの水の溜り場に通っていました。第二次世界大戦の間に、パラダイスコーブ付近の土地は陸軍、海軍の人々に休養所として使われていました。

コオリナのビーチを面する海岸線は長い岩棚で、主に溶岩とさんご礁で成り立っています。パラダイスコーブの大きな海水の溜り場は、確実にカアフマヌの神聖な水の溜り場のうちのひとつだとされ、海岸際で、清純な砂浜のビーチが目の前にあります。この水の溜り場は自然な壁で海と分けられていて、波が来たときに海水で満たされます。この入り江は地元の漁師の間で、モイ(ツバメコノシロ魚)がよく取れる場所だとされ、また毎晩パラダイスコーブで行われるフキラウ(何人もの人々の手で大網を引いて魚を集める作業)のデモンストレーションにも最適の場所だと注目されています。